古代日本における船舶についてのメモランダム

 日本の古代史上で余り語られない輸送について考えてみる。

 縄文時代までの輸送方法については、あまり語ることはない。何故なら徒歩の場合、荷物を直接担いで移動するより他なく、一日当たりの移動距離は100キロとないからだ。現代の軍隊では一日40kmを目安にしている筈だが、ほぼ平坦な地形ばかりならそれでもいいだろうが、日本の地形を考慮する場合30kmも移動したら多い方だろう。近代迄は牛馬に荷物を括り付けて牽いていたから、移動距離は多少伸びた程度と思われる。

 海上を移動する場合、主に船が使われる。弥生時代まではほぼ丸木舟が使われていた。しかし丸木舟の積載量は元の木材の大きさに拘束される。そこで、船の容積を増やす為、よく言われているのが準構造船である。我が国では下図のような準構造船(1)がよく紹介される。

 この時板の継ぎ目にはZ型の部材を嵌め合わせることで上下方向に抜けないようにする。ただ左右(板厚方向)の力に対しては弱くなるので、ダボを入れる必要があるが、著者の知る限り古代の船舶でこのような構造を入れたものは知らない。

 板の継ぎ手形状を以下に示す。右は上下の板の継ぎ手である。最初は下に示すようなダボかもしれないが、一般的には角材でつないでいる。

 しかし準構造船(1)の構造だと凌波性は多少向上するが、積載量は元になった丸木舟の制限下にある。その制限から解放されるには準構造船(2)の様に幅も広げる必要がある。勿論板のつなぎ方は上に示したものを用いる。

 今のところ準構造船(1)だけしか発掘されていないようだが、より多くの荷物を積載するには準構造船(2)のような構造が望ましい。

 この後構造船に移行するはずだが、これも発掘されていない様である。この結果、船の構造は大陸から来たと言いたげだが、中国大陸の沿岸などほぼ静水状態である。つまり波がない。特に渤海は波が全くない海として知られる。だから中国は大型船を容易に作ることが出来たと言える。

 しかし中国の船では外洋を航行することができない。船底が平板なので凌波性に問題がある。特に楼船ともなると速度が出ないので、中国沿岸から対馬海峡に差し掛かるとそのまま日本海に流されかねない。まぁ、彷徨える中国人が出来上がるわけである。

 ではわが国でこのような構造船が作られただろうかというと確証がない。何しろ推定はできるが発掘資料がない上に、考古学者に船舶について知っている者がどれくらいいるのかという疑問もある。寧ろそちらの方が重大だが。

 しかし日本が構造船を作る必要性はある。準構造船(2)の発展形で、中央の底板(瓦という)を厚く重くし、その両脇に板材を並べる。例えば参考文献1から引用した下の左の様な構造になる。

和船はどのように発達したか│54号 和船が運んだ文化:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター和船はどのように発達したか│54号 和船が運んだ文化:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター

 

 では構造船が必要になる理由は何か。それは鉄と馬の輸送である。馬というのはかなり神経質な動物らしく、JRAの運送車両などほぼ窓ない特異な形状をしている。

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 この様な動物を海上輸送するにはそこそこの大きさの船体が必要であり、厩舎を甲板上に設ける必要があるだろう。また海水が厩舎に入り込まない工夫も必要であり、航海中、余り船が揺れないようにする必要もある。しかも、馬は寒冷地向けの動物なので、海上輸送は春の内に行うべきとなる。また輸送するなら数匹輸送出来たほうがいい。

 そう考えると丸木舟や準構造船(1)のままでは馬匹輸送を行えないことが分かる。また鉄を輸送する場合、抑々重量があることや、海風による腐食を考えるとこちらも船上の建屋が必要になる。

 恐らく古墳時代辺りには構造船を完成させていたのではないかと思われる。問題は発掘資料がない事である。なお、船舶埴輪の類は余り実構造を反映していな可能性が高い。この傍証としては明治初期の鉄道錦絵である。当時最新鋭の陸上移動手段を記事にするのが主目的なのか、実物を模したものであるとは限らないのである。況してや太鼓の埴輪なので、実物通りと考えるのは危険である。

 結局、実物の船舶の構造を参考にして、太古の日本人はどのような構造の船を作ったのかを考えるべきである。

 

 追伸:対馬海峡を良く突破する実験をしているが、あの急流を横断するのではなく、五島列島から北東に進んで巨斉島を目指した方が渡海は成功する筈である。韓国からも同じく巨斉島を起点とし、対馬に向かった方がいいだろう。その方が海流を利用できるはずである。

 

 

参考文献

和船はどのように発達したか│54号 和船が運んだ文化:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター

馬運車 - Wikipedia

陸蒸気からひかりまで 機芸出版社

 明治の貨物列車に馬運車が含まれているが、車体には窓一つない。