白村江の戦い 無条件降伏論を嗤う

 白村江の戦いの結果日本は無条件降伏したというショッキングな論を見かけた。何をもって無条件降伏をしたと考えているのか不明だが、どうやら当時の文書を解読するとこういう結論になるらしい。しかし、無条件降伏論には根本的な無理がある。

 まず、当時唐に潰された百済高句麗がどうなったかを考えてみればわかるが、王族と貴族は本国に拉致されている。つまり伝統と正統性を破壊する訳だ。そして、復興運動など二度と起きないようにする。それでも起きるのが復興運動だがいずれも失敗した。

 我が国はどうだろうか。皇族も豪族もほぼそのまま残置している。無条件降伏したとなればこれらが残っている筈はない。何か第二世界大戦後のGHQの統治を基準にしているが唐はそこまで甘くない。無条件降伏の暁には確実に皇族と豪族の類はこの世から消され、最終的に文化の類は中国のそれに置き換えられる。

 唐は百済高句麗新羅・倭に都督府を設置する。前二者は唐の版図同様だから都督府を置く意義はあった。これらの都督府は版図とした領土の監督の為の機関だからだ。しかし、新羅に設置した都督府など最早意味不明である。唐は新羅と同盟を組んでいたし、新羅は唐から柵封を受けていたから、出先機関が必要なのは分かるが、都督府長官と言うべき地位につけたのは新羅国王である。この都督府は名目上のものとされているが、これなら設置しない方がいいし無意味迄ある。これでは新羅の反発は必至で、この後新羅と唐は対立し、旧百済領土は新羅に蚕食された挙句、結局新羅のものとなった。

 この都督府、日本の筑紫にも設置され、中国人が務めることになったのだが、百済高句麗の例を引き合いに出して、無条件降伏したと言っているとしか思えない。その一方で、無意味な鶏林都督府(新羅に設置した都督府のこと)は堂々と無視する。名前が全部同じだから、中身も同じという事なのだろう。だが、新羅は同盟を組んだだけであって唐に制圧も何もされていない。

 次に日本での例を検討する。白村江の後、最大4度(うち二回は重複記事とされ3回とする意見もある)唐から使者が来ているが、最初の使者(663年7月ごろ来任)の出したお手紙はきっぱり跳ね付けている。戦争に負けたとは微塵も思っていなかったのだろう。いや、戦争に負けたがそれは出先のことで本土で負けたわけではないから、強気でいられた。そういうことだと思われる。それでも10月に使節団を歓待し、12月にこの使節団は帰任している。時期を考えたら生還できるかどうか怪しいが、この後も日本に来ているから大丈夫だったんだろう。この使節団は130人からなるが、本体30人で残り100人は船の漕ぎ手などの類である。大体本気の占領統治ならこの人数は少なすぎる。というか日本制圧などできない。

 唐はこの後新羅と対立したが、百済の時とことなり渡洋侵攻をしていない。というか、百済制圧の際にしか渡洋作戦をしていない。これが意味することは明白で、唐といえども渡洋作戦は負担が大き過ぎたのだ。渡洋作戦を行うには通常の遠征同様補給物資の他、更に船舶の建造と漕ぎ手の確保が必要になる。更に移動中の損害を見込む必要がある。これが第二次世界大戦なら、敵の妨害だけを考慮すればいいだろうが、古代の場合、天候や波浪を考えないといけない。つまり送り出したら皆戦場に来ませんでしたなんてこともありうる。それ位、渡洋侵攻のリスクは高いのだ。

 唐は白村江で勝利はしたが、二度と渡洋侵攻を行わなかった。つまり一度で懲りたという事である。勝利してこれである。であれば日本に渡洋侵攻など、それこそ、控えめに言ってもリスクしかなく、最悪行って帰ってこない鉄砲玉状態になりかねない。また、船舶と漕ぎ手全損となったら通常の陸上戦闘以上の損害になる。

 話を戻すと、次の使節団は254人である。都督府の設置はこの時決まっただろうが、占領統治なら最初の使節団の来日の時点で一方的な都督府の設置通告を受けるはずである。だが都督府が設置されたともされていないとも書いていない。筑紫都督府の存在が確実なのは667年だが、671年は筑紫大宰府に名称を変えている。日本制圧するにも人数が全く足らないのはさっきと同じである。これで日本を制圧できたとするなら、クビライ・カンはタイムマシンで唐に来て高宗にどうやって日本を制圧したのか聞きに来るだろう。それとも無色透明な架空の唐の大艦隊でもあったのかと言いたくなる。

 最後の使節団は2000人の規模に膨れ上がり、これまでの例を参考にすると1400人余りが漕ぎ手などになる。それでも600人の規模である。人数が増えた理由は多分交渉に業を煮やしたか、筑紫都督府の稼働の為だろう。実際これまでは筑紫で足止めを喰らっていたことが確認される。実際にこれまで飛鳥などに唐の連中が来たという考古学的な証拠なぞ存在しない。そして当然日本制圧をするにしても絶望的に人数が足らない。

 さて、この後の高句麗はどうなったかというと地元の高句麗系住民の慰撫の為に高句麗王を封じたはいいが結局靺鞨と組んで高句麗復興運動を始めたものだから、唐はその運動を潰し、元国王は流刑に処した。旧百済領に設置した都督府はこれも意味がなく、結局旧百済領は新羅に併合された。こんな有様だと都督府って何のためにあるのかと思う。尚新羅に設置した都督府に至っては存在意義すら分からないものだった。

 なら日本に設置したものは何となるが、どう考えても出先機関である。説明を見る限り軍政もやるような組織という事になっている。特に筑紫都督府はその方面の人数が少ない。これで無条件降伏というのは無理があり過ぎる。無条件降伏をしたらどうなるかは先に書いたがそうなっていない。そうなると根拠は何かとなるが、この都督府の存在という事らしいが、その実態が単なる出先機関である以上、どう考えても無条件降伏論には無理がある。

 

 確かに朝鮮半島での一連の戦乱の敗北はそれなりの衝撃だっただろうが、その後の行動についても、唐の言いなりに必ずしもなっていない。例えば唐の高宗が儀式をやる事になったが、そこに来た日本代表には皇太子の類は含まれていない様である。というかどこの史書もはっきり書いていない。でていたら何らかの資料が残る筈だから、結局日本の皇族は誰一人参加していないことになるだろう。

 これも無条件降伏論の欠陥で、唐の言いなりだったら節度使は筑紫に足止めなどされていないし、飛鳥に入れたはずである。また当時の交通状況や通信状況を考えると筑紫から飛鳥の制御など不可能である。

 彼らの軍事的識見の欠如を挙げると白村江他と一連の戦闘で日本軍は全滅したという主張である。しかし、戦後百済遺民が最大5,000人来日している。その中には鬼室福信一族も含まれる。とすれば護衛の兵力もいた筈で、白村江などの戦死は10,000とすると、派遣人数27,000からこの数字を引けば最大17,000が帰還できたことになる。勿論撤退中に戦死したものなどもいるからこれより少ないだろうが、日本に戻った人数は最大22,000となる。これが現実で全員かの地で死に絶えましたなどありえないのが分かるだろう。

 もう一つは戦後に遷都した近江宮の件だが、この都の防衛は周辺の地形を利用したものなのは地形を見れば一目瞭然である。例えば瀬田、逢坂、倶利伽羅峠と言ったところで敵の侵入を防げれば防衛線には勝てる。実際の壬申の乱ではそれに失敗した故に大友皇子は敗北し、自害することになった。両者の兵力が拮抗した場合、普通防衛側が有利の筈だが、そうなっていないのは、それ以前の戦いでの損害を補えなかったか、結局大海人皇子の方が兵力で優越したかの何れかだろう。そのルートも吉野から大回りをして尾張辺りに出ると、不破関→瀬田橋(最後の決戦場)と進んでいる。また一部部隊は琵琶湖北岸を進んで大津京に向かっていた。大友皇子は不破を抑えるつもりだったのだろうが、内部の混乱でそれが出来なかった。恐らくここから瀬田までは撤退戦闘だった筈である。そうなると士気が落ちるが、大海人皇子側は進撃するから士気は上がっただろう。

 結局、近江宮自体を守るのではなくその外側で敵を迎え撃つのが主目的だから、防御力など初めからないのである。こういうことは周辺地形を見ながら勘案すべきである。結局大友皇子は初期の防衛構想を実行することが出来なかったのだ。

 

 以上が白村江の敗戦後の無条件降伏説などありえず、石井らの書いたものは単なる戯言であることの論証である。そこに見えるのは軍事的地理的識見の欠如であり、さらに政治的な条件をまるで考慮していない暴論の展開である。

 また都督府の設置を持ってGHQと同じとかも妄説の類でしかなく、自分の都合のいいようなこじつけをしているだけである。それは学問とは言わない。

 

参考文献

日本の古代史を考察したサイト。白村江関連の年表はここを参考にさせていただいた。感謝します。

継体持統㉝:白村江の戦い - 上古への情熱

白村江の戦いの後の日本を考察した論文

https://iush.jp/uploads/files/20241127103244.pdf

無条件降伏論者のサイトその1。だいたい、引用した書籍の著者を間違えている(ともに工学関係で日本古代史とは何の関係もない)し、唐からの使者の人数254254人とか金輪際あり得ない数字(多分誤記)をのせている。これなどまだマシな方で、もっと糞なサイトが実在する。電波浴をしたい人は探すといいだろう。

日本古代史ネット【特別保存論文】|白村江の敗戦 と 唐による倭国の 羈縻(キビ)支配

この手の想像力が豊か過ぎる方々は何でも唐がLST(強襲揚陸艦)を保有していたなどと書くが、この手の艦船を最初に建造したのは大日本帝国陸軍である。ここ迄くると知識のない無能は黙ってろと言いたくなる。

 

2025.12.21 誤字訂正